最近行った展覧会の感想メモです。
ダダイズムからシュルレアリスムにかけての概念と作品は、高校生の頃に知り、すごく惹かれました。従来の価値観を壊して、自由を希求するという姿勢が魅力的でしたね。権威を盲信しないこと、全ての事象は、相対化して捉えるべきだということを10代の時に知ることができたのは、ダリやマグリットといったアーティストのお陰だったと思ってます。
同時に、壊していくことに限界があること、自由を突き詰めること自体には限界もあるし、壊すだけだと意味が無いことを、感覚的につかむことができました。やはり、当時好きだった「フリージャズ」という音楽も、何でも自由にやっていい、ということを突き詰めていくと、結局は「フリージャズ」的な、新しい様式を産んでいました。その様式が美しいから、観客は支持して、成立しているという構図が面白かったです。
パリのポンピドゥ美術館から出品された作品は、シュルレアリスムの思想の形成が良く理解できる内容でした。シュルレアリスムが、パリから出てきたのは必然なんですね。とてもパリらしい精神を感じます。ポップアートが、ある時期のニューヨークを象徴しているように。
美術史と音楽史は連動してるので、今更ながら、西洋音楽史と美術史を学びたいなと思いました。良さそうな本を探してみます。
同じ日に、岡本太郎展にも行きました。生誕100年ということで、再評価されているようですね。近代美術館で行われたこの展覧会も素晴らしかったです。岡本太郎さんに直接、お会いしたことはありませんが、おそらく、ものすごく魅力のある方だったことでしょう。作品はもちろん大切ですが、結局は人間力の勝負になってくるというのは、長年、アーティストマネージメントの仕事をしていると、しみじみ感じます。
展覧会のキュレーション(これが元々のキュレーションという言葉の使い方ですね。)も非常に丁寧でわかりやすかったです。休日に行って、時間もあまりなかったので、ゆっくり観られなかったのが残念。
シュルレアリスムがヨーロッパを席巻している時代にパリに行った岡本太郎は、ピカソに衝撃を受け、ピカソを超えるという気持ちで、創作活動を生涯続けたとのことですが、日本の現代美術を代表する素晴らしいアーティストだと言う事を改めて確認できました。
絵は見たことがありましたけど、不覚にも、ヘンリー・ダーガーをきちんと認識してませんでした。
1892年生まれの作者は1973年に亡くなるまで、誰にも知られずに、小説と絵画を描き続け、死後に発見されたというエピソードは、小林恭二さんの『小説伝』を思い出しますが、これも私が不勉強だっただけで、小林さんは当然、ご存知で書かれたのでしょうね。以前は親しくさせていただいて、小林作品の舞台プロデュースまでしていたのに、恥ずかしいです。
『非現実の王国』は、世界最長の小説だそうです。美しい少女達が主人公のファンタジーで、悪の惑星を少女戦士達が倒すというプロットは、昨今のアニメを彷彿とさせます。絵画は、全て雑誌からのトレース(複写)とコラージュで作られていて、絵巻のような大きさでした。コンピューターを使わずに全て手作業でやっていたというのも驚きですし、その幻想的な世界は、ヘンリー独特のものです。
但し、「アメリカン・イノセンス」というキャッチコピー(アメリカの純真?)は、いいとして、彼を昨今、注目されている「アウトサイダー・アート」の先駆者的に位置づけている論評があるのは、首をかしげました。知的障害者による作品は、わかりやすくいうと「山下清・裸の大将」に代表される作品ですよね?ヘンリー・ダーガーは、養護施設に入っていたという経歴はあるものの、小説を読んでもわかるように、いわゆる「知的障害」ではありません。幻想の世界を独自に深く、大きく築くのは、もちろん「狂気」のなせる技ですが、その狂気は多くの「健常者の」アーティストが持っているものと同質だと思います。この話を突き詰めると、正常と狂気は、白と黒の様に分けられることではなく、灰色の濃さの問題で、精神に於ける異常性というのは、グラデーションだという話になるのですが。
彼の世界最長の小説を読破するのには、膨大な時間が必要でしょうから、なかなかお薦めできないですが、コラージュを駆使した絵画は、現代美術の一つの完成形として観るに値すると思います。今週日曜日(5/15)までやっているので、お時間のある方は、是非。
余談ですが、原宿という土地柄かもしれませんが「HENRY DARGER展」は、綺麗な女性の観客が多かった気がします。美しい女性は純真な狂気に惹かれるのでしょうか、、?
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