2014年8月26日火曜日

「アイスバケツチャレンジ」私感〜今更だけど「ダサカッコイイ」について考えてしまった。

 8月23日に「アイス・バケツ・チャレンジ」で、氷水をかぶった。
あまりに流行ったので、賛否両論になっているこの現象について、自分の体験と気持ちをメモしておきたい。

 僕のFB上でバケツで水をかぶる映像が出始めたのは、8月の上旬頃からだろうか?米国発の難病啓発キャンペーンとして、日本にも波がやってきて、友人達が次々に参加していった。SNSを活用の普及成功事例として、興味深く見ていた。

 22()の午後に、ZELSの田口さんから「アイスバケツチャリティ指名してもいいですか?」とメッセージが来た時は、一瞬戸惑った。「あー、やるなら2週間位前だよな。今やるのは、ダサいな」というのが正直な感想。既に、前日の夜には地上波のテレビ番組で紹介されていたのを見て、もう一般化したんだなと思った矢先だった。

 ネット上の批判の意見も多く見た。「売名行為だ」「水をかぶるのに意味が無い」「寄付は自主的にちゃんと考えてするべきで、啓蒙になっていない」「チェーンメールみたいで気持ち悪い」等々、真っ当な批判も多かった。
 ちょっと考えたけれど、やることにした。それほど深い理由は無いけれど、ソーシャルメディアの専門家風な立場としては、機会があれば何でも体験しておくべきかなと思ったのと、頼まれた人が好きな人だからだ。田口さんに頼まれて、同じ事を引き受ける自分がちょっと嬉しかった。
 翌日に「作曲家リレートーク」というイベントがあって、「山口ゼミ」の弟子達がたくさんいるのも良いなと思った。どうせやるなら自宅でやるより、人がいた方が楽しい。会場のMUSE音楽院にバケツなどの手配をお願いして、スタッフにも連絡をした。次にやったのは、バトンの相手先を決めておくこと。友人だとしても、強制では無いにしても、勝手に名前を挙げるのは無いなと思い、メッセージで許可を求めた。

 3人の人選は自分の中ではあっさり決まった。感覚的なものだったけれど、決めた後に、後付けで理屈を考えたら、以下の理由だった。
  洒落が理解できる大人なこと
  自分が信頼できる友人であること
  ソーシャルアクティブで、一定の影響力があること
  自分と違うコミュニティを持っていること
瞬間的に選んだ人の共通点は以上だった。

 女性を選ぶのは考えにくいし、極端に歳下だったりすると、強制的に感じられるかもしれない、みたいなことも思っていた。
 3人とも快く受けて下さって、嬉しかった。

 その日の夜は、改めて「アイスバスケットチャレンジ」現象と、ALSという病気について、ネットで調べてみた。WIKIPEDIAALS協会のサイトを見る程度だったけれど、自分なりに、知識の確認はしておこうと思った。
 同時に、自分がやる理由についても改めて考えてみた。普段の僕の言説は、すでにブームになってしまった「アイスバケツ現象」を批判する人達に近い気がする。「表層に流されずに本質を見ようよ」「一時的なブームは、時には逆効果だよ」という意見には、その通りだと思う。
 でも、友人から自分にバトンが回ってきた時に、もう一般化しているタイミングで、ダサいことを引き受ける自分でいたいなと思った。ダサいことを堂々とやれる男でいたいなと、普段から思っているから。
 J-POPの音楽プロデューサーとして、「ダサカッコイイ」ことを堂々とやり抜かなければいけないという職業的な強迫観念みたいなものを持っているのも関係あるかもしれない。

 実際にやるのは一瞬のこと。白いTシャツが敗因で、最近、猛暑に負けてGYMをサボって。腹が出ているのがモロバレ映像なのが心から残念だけれど、一瞬のお祭りだった。
 既にやってしまった自分が、どうだったのか、よくわからないけれど、忘れないうちに、自分の感じたことをメモしてみた。
 なので、今回のエントリーは、特に誰に対しても何も訴えていないつもり。

 銀行振込で寄付もした。元のルールは、100ドル寄付 or 水をかぶるらしいけれど、両方やる人が多いようだ。寄付先は、日本ALS協会で、金額も1万円にした。独自性を出さずにルールに従う心地よさもあるなと感じた。

 ちなみに、氣志團の綾小路翔さんがTwitterで賞賛していて知ったブログの記事がこれ。
 まじめに語るとこういうことなのだと思う。参加して良かったと思えたので、ありがとう!

 そんな感じで、やってみて、思うのは、水をかぶるのは祝祭性があるんだなと、お祭りっぽい感じだから広がったのだと思う。タイにも水掛祭りってあるよね。ただ、観ていても一種のカタルシスがある。だから反感もかうんだろうね。
 バトンを渡した3人の映像を見て、なんかうまく説明できないけれど嬉しい。こういう連鎖があるのは、言葉を選ばずに言うと、楽しいね。

 ドマジになりすぎず、でも不真面目でも無く、アイスバケツチャレンジをやる友人がいて、そんな連鎖があったことは素敵な体験だった。
 





 いろんな意見があって良いけれど、「啓蒙」って、関心を持ってない人に考えるきっかけを持ってもらうことだから、広まるほどに、薄まるのは自然で、目的は十分に達成しているんじゃないかな。
 ノンポリ的なスタンスで、アイスバケツチャレンジに参加してみて、そんなバカっぽい感想を持った。

2014年8月20日水曜日

ろくでなし子逮捕と署名運動について

 だいぶ間が抜けたタイミングでの投稿になるけれど、変な論説が多い気がして、書くことにした。前衛芸術家ろくでなし子の3Dプリンターでの女性器頒布と逮捕について、僕の個人的な見解をまとめておきたい。
 その話は何?という人は、とりあえず、下記の記事をどうぞ。

●なぜ「自称」芸術家? 「ろくでなし子」氏逮捕の深層 女性器3Dデータは「わいせつ」か「芸術」か


まずは、前衛芸術家のスタンスについて。

◆前衛芸術家は反体制であるし、反社会的であることが存在意義

 僕は、正直、逮捕が不当と騒ぐ人達の多くの論旨が理解できなかった。「悪いことをしていないのに逮捕されて可哀想」みたいな言説は、芸術家と名乗っているろくでなし子にたいして、むしろ失礼だと思う。
 前衛芸術の定義は人それぞれでよいけれど、基本的には、既存の価値観に対するアンチテーゼ、当たり前と思っていることを疑わせる、認識を改めさせるというのが、本人の意思はともかくとして、社会的には役割であるはずだ。その意味で、3Dプリンターという従来の価値観を揺るがすツールを使って問題定義するというスタンスはとても正しい。
 そもそも「ろくでなし子」って名乗っているのだから、確信犯だと捉える方が自然でしょ?

 一方で、既得権益者は守旧的であるのが前提で、そういう意味で、今回のろくでなし子の表現を見逃さなかったのは、職務熱心であると捉えるべきで、逮捕された側は名誉なことだし逮捕した方は、さぼらずにちゃんと仕事をしたというのが、客観的なとらえ方だと僕は思う。

 その事件を「自称芸術家」という言い方で報道したメディアの責任放棄は、批判されるべきとは思う。「お前は体制側の犬なのね」という烙印を押すには値する。
 一方で、警察に対して、ことさらに、「不当逮捕」だと言いたてるのは、警察に対する期待値が高すぎると思う。体制側のオペレーションを担う役所は、既存の価値観を揺るがす行為は否定するのが、そもそもの立ち位置だ。逮捕自体は、むしろ「正当」だと僕は思う。

◆留置所への長期拘留は不当ということ

 ろくでなし子が、自己の確信犯的な表現で警察に逮捕されたことは、体制側が、しっかり「敵」と見なしたという意味で、芸術家としては、むしろ名誉なことであるはずだ。万が一、逮捕される覚悟がなくやっていたとしたら、それはそもそも、「前衛芸術家」を「自称」する資格が無かったことを意味する。まったく私見だけれど、体制側に抑圧された方が、前衛芸術家の表現のクオリティは高くなると僕は、当然のこととして思っている。
 ただ、それも程度問題で、極論で言うと、体制側が不快なことをしたら即、殺されるみたいなことだとしたら、論外だ。芸術家には成長するプロセスは必要だし、政府の弾圧や、社会の偏見の目を知って、活きる表現もあるはずだ。

 さて、ろくでなし子について、釈放を求める署名運動が行われた。

●「ろくでなし子」の即時釈放もとめる「署名活動」ネットで展開・・・賛同者が急増

 僕が、このネット署名運動に参加して、署名したのは、まず一義的には、たかだか「オ××コ」をつくっただけで、留置所に長期拘留するのは、警察の横暴が過ぎると思ったからだ。日本がこれから文化国家として活きていくしか無い時代に。多様性を認めないのは問題だし、そもそも西洋に対する東洋の知的優位性は、性的なものも含む寛容性であるはずだ。そして、ともかく、牢屋に入れて反省させるという警察のやり方には、しっかりNOを伝える必要はある。
 気分で言うと、風営法によるクラブ摘発問題に対する反感もある。「警察とヤクザは紙一重」という論説に僕は与しないけれど、やみくもに社会浄化を求める近年の警察のスタンスは、ちょっとバランス悪すぎるし、日本の国益にとってマイナスだ。法律を拡大解釈して、カルチャーを抑圧すると、強い批判を浴びるということは伝えたいと思う。

◆ネット署名についての見解

 「.org」の活動はリスペクトするけれど、僕が個人的に気をつけるのは、むやみに「賛同ボタン」を押さないことだ。
 ネットでの署名運動は、良いことだと思うけれど、一ユーザーの立場で言うと、気軽に、手軽に、署名ができてしまって、深く考えたり、調べたりせずに、気分で署名しそうになるのが、マイナス面だ。自分なりにしっかり情報を分析して、立場をはっきりさせてから、署名するかどうか決めた方が良い。
 
◆3Dプリンターが僕らに投げかけていること

 このエントリーからは枝葉になるけれど、今回の「事件」が3Dプリンターで起きているのは事実、3Dプリンターとい存在が、従来の社会常識を揺るがしているのは間違いないし。警察に恐怖感があったから、勇み足的な逮捕になったという側面もあると思う。
 3Dプリンターとそのネットワーク化は、社会を根本から改革する可能性を秘めているのだと改めて思った。

 様々なことを考えさせられる事件で、そういう意味で、前衛芸術家「ろくでなし子」は、まさに定義される意味の前衛芸術家として、功績があったと僕は思う。