2013年12月29日日曜日

「ずっと好きな歌」と「無意味良品」と、「ザ・ベストハウス123」 〜井上晃一を悼む

 BSフジで「ずっと好きな歌」と「無意味良品」が放送された。1123日に亡くなった井上晃一が構成・演出した番組だ。
 「ずっと好きな歌」は、ドラマー・村上"ポンタ"秀一がホストの音楽番組。毎回のテーマにトリビュートするアーティストを選び、そのアーティストを敬愛するアーティストをゲストに招いて、トークと楽曲のカバーライブを行うという内容で、普通のTVでは観ることのできない、クリエイティブで、音楽的に濃い番組だった。たくさんのミュージシャンズミュージシャンが、出演してくれた。音楽事務所としてのBUGのカラーを表していたと思うし、ノウハウを注ぎ込んだ番組だった。幸いなことに評判も良く、開局以来、BSフジの看板番組とまで言われていた。

 「無意味良品」は、僕がプロデューサーとしてクレジットされている。キムスネイクというキャラクターを世に出したいと相談されて、井上晃一と一緒に企画した。敬愛する阿川佐和子さんを口説き落として、レギュラー出演していただいた。木村タカヒロという絵描きが産み出す奇天烈なキャラクターが世界中から無意味なものを集めてきて、ゲストが品評するという構成。要所にオリジナル音楽も織り込んだ。社長役のキムスネイクの声は、井上自身がやっていた。「あー、よいねー!」。総合演出がナレーションもやるという不思議な世界。撮影現場も編集スタジオも、一体感と笑いが溢れていた。そそのかすのが得意な彼に騙されて、僕もバーのマスター役のナレーションをやらされていた。熱い雰囲気に、草創期のテレビ番組って、こんな風に創ってたんじゃ無いかなと思ったりしていた。
 それにしても、一般的には無名のクリエイターを追悼してテレビ番組が放送されるのは異例のことだと思う。編成部長の立本洋之さんの厚情と、BSフジの度量の広さには、本当に感謝したい。この恩義は一生忘れません。ありがとうございます。総集編の編集にも愛情がありました。

書籍版「無意味良品」
 井上晃一と知り合ってからは20年近く経つ。2003年頃から2010年位までは、週の大半は一緒にいた。どれだけの時間、話をしたのだろう。些末なことから、深遠な内容まで多種多様な会話をしていたれど、とどのつまりクリエイティブとは何かについて、いつも話していたような気がする。そして、とても影響を受けた。僕が音楽プロデューサーを逸脱して、コンテンツビジネス全般について語るようになったのは、別の理由だけれど、あらゆるカテゴリーのコンテンツ、作品つくりに通底するプロデュースの基本姿勢が持てたのは、彼のお陰だ。

 フジテレビのプライムタイムで放送した「ザ・ベストハウス123は、レギュラーになる
前の特番のセットを考えるところから近くで見ていた。「ピストルバルブ」という僕が始めたアーティストを出演させることを前提に企画していたようなところがあり、視聴率を気にしながら毎週を過ごすという、初めての体験をさせてもらった。「自分が本気を出すと視聴率が下がるから、テキトーにやるのがちょうど良い」と言いながら、抜群のバランス感覚を見せていた。

 映画とかテレビとか音楽とかカテゴリーにとらわれずに、全てを俯瞰して、具体を産み出す才能は、希有だった。幅の広さと切り込みの鋭さを両方持っているクリエイターは、滅多にいない。本当に特別な人だった。

 一緒に立ち上げたプロジェクトの方針がずれてしまい、お互い本気だったが故に、袂(たもと)を分かつことになったけれど、別の機会で、いつか何かを一緒にやるんだろうなと漠然と思っていた。けれどもう、かなわなくなった。

 井上晃一は、人間関係でも仕事においても、過剰に背負い込む性質で、極度のマッチョだった。権威を信じず、弱者に優しい性格は良いのだけれど、多くのことを抱えすぎる。自分の会社を「動物保護区」や「モンスターゾーン」と名付けているくらいだから、自覚は十分にあったけれど、自分の体力、精神力を過信していた。僕が近くに居る時は、散々、批判して、だいぶ減らさせていたたけど、最近は没交渉で、止めてあげることはできなかった。近年の彼の周辺のスタッフは、僕の紹介だったりするから、その不甲斐なさには、腹立たしさと哀しみがあるけれど、、、。

 死亡の報せを聞いたとき、不思議なことに驚かなかった。年下の突然の死なのに、想定内のような気がした。これまで持ったことの無い感情だった。悲しみというよりは怒りに近い、喪失感とも違う何か。
 すぐに井上の携帯に電話して「自分は死なないと過信してたろう?だから言ったことじゃない。反省しろ!」って、言いたかった。自死では無かったけれど、長年の無茶と不摂生がたまりにたまって、身体が遂に限界点を超えたのだろう。生命力は異常に強い男だったから、仕事を離れて、養生に専念すれば違ったはずだけれど、そういう選択はできない性格だった。

 本当に烈しい感情は言葉で表現するのが難しい。何かを書かずに居られずに、このブログに書いている。さっきから、井上がKIM社長役で歌った「The store of HOPE」を口ずさみながら、涙が止まらない。レコーディングスタジオで、彼の歌をディレクションをした時の事を思い出す。
 心の置き場が無いけれど、もう作りたいものは作ったから、気が済んだんだな、と思うことにする。

 お前はやめても、俺は続けるよ。

 合掌。 

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