◆profile
2003年結成。在日Korean四世の瑛愛、石垣島出身の平得美帆、東京大学院生の早川大地の3人組。エスノサウンドを採り入れた東京発のポップスを標榜。
インディーズでのミニアルバムリリースを経て、2004年5月にシングル『月凪』で、ビクターエンタテインメントからメジャーデビュー。その後、シングルを計5枚、フルアルバムを3枚をリリースした。
◆producer's note
ワールドミュージックのエッセンスを入れることで、J-Popに新しいジャンルをつくるというのが、元々のコンセプトでした。別々に育成していた新人を組み合わせて、民族音楽好きの大学院生に、石垣島出身と在日Korean3世のシンガーという三人組に仕立てたのは、グループコンセプトをわかりやすく示めすためでもありました。
デビューシングル『月凪』が、全国FM局のパワープレイ局数の新記録を更新、リリース前にフジテレビ「めざましテレビ」に出演、石垣島から生中継でライブを行うなど、華々しいデビューをさせることはできました。ただ、メディアを介していく中で、こちらの意図が矮小化されて、「癒し系」的な意味づけをされることも多く、その後の作品と齟齬が出てしまったのが反省点です。まったくの新人(素人)の作編曲で、メジャーシーンで勝負するのは冒険だと思われたようですが、時代を席巻するには新人であっても、オリジナリティで押すという考え方を持っていました。
そんな理由でレコード会社の意向に抗して、外部クリエイターを登用しなかったのですが、「育てながら勝つ」というテーマを自分に課したのは、ちょっと肩に力が入りすぎていたかもしれません。作詞の在り方などで、メンバーのクリエイティブを守ろうとして、レコード会社のスタッフの気持ちの擦り合わせに、問題が生じたのも反省点です。
マネージメントとプロデューサーを兼務しているので、ファンやメディアの方にアーティストの実際より大きく見せようとします。「ゲタを履かせる」ということですね。そうやっている間に、本当に背が伸びてくれるのを願ってやるのですが、時に本人が勘違いしてしまうこともあり、その辺のさじ加減も難しいところです。
海外のリアルな「エスノ音楽家」と、レコーディングができたのは貴重な体験でした。モンゴルでホーミーと馬頭琴を、インドネシア・ジャワ島でガムランとケチャを、書き下ろし曲でアレンジに組み込んだのは意欲的な試みだったと自負しています。ルーマニアのジプシーバンド「マハラライバンダ」をわざわざ来日させて、レコーディングとライブを行ったのは、金銭的には負担でしたが、非常に刺激的でした。
「卒業」したボーカリスト二人も、その後は幸せな結婚をしたので、ほっとしています。いずれにしても、密度の高い3年間が過ごすことができました。
瑛愛の結婚式では新婦側主賓で招かれました。結婚相手も在日Koreanの方で、仲人や司会が韓国語で話されているのには驚きました。私のスピーチが最初の日本語だったので、緊張しました。デビュー時に、アーティストプロフィールに在日と載せて、祖父母が心配されていたのを思い出したりして、感無量でした。
ワールドミュージックへの興味は尽きないので、別の形で、自分のプロデュースワークに取り入れるつもりです。東京エスムジカで行った数々の「実験」については、整理して、近いうちにブログに書きたいと思っています。
◆Discography※リリース作品はブクログをご覧ください。セルフレビューを載せています。
※追記:グローバルな音楽プロデュース活動記録<1>~モンゴル・レコーディング体験記〜をこちらに書きました。
0 件のコメント:
コメントを投稿