2011年9月27日火曜日

コンテンツとしての大相撲の価値 〜JUDOと相撲の二方向で国力向上に活用しよう〜

 一昨日、大相撲9月場所が千秋楽を終えた。
 白鵬の二場所ぶりの優勝という結末。日馬富士の横綱挑戦と鶴竜の大関挑戦は失敗だったが、琴奨菊は千秋楽まで優勝を争い、大関の座を手に入れた。同じく準優勝の稀勢の里は来場所、大関獲りに挑むことになり、久々に有望な日本人力士がでてきている。全日を観ることはできなかったけれど、全体的に相撲内容も充実してて嬉しかった。空席が目立ったと言われているが、今場所のような状況が続けば、相撲人気は戻ってくると思う。

 魁皇が昨年引退したことで、1横綱大関は全員外国出身の力士になっている。貴乃花が引退した頃から、相撲の番付の上位4〜5人には日本人が入っていない状態が続いている。最後の日本人力士の優勝は2006年1月の栃東だから、もう5年以上経つ。
 
 ちなみに、僕は小学校低学年の頃からの相撲ファンだ。父や祖母の影響でテレビ観戦してた。先代貴乃花(今の貴乃花親方のお父さん)と輪島が大関に上がる前の取り組みを覚えているんだけど、今、調べたら1972年だった。(うーむ。昭和は遠くなりにけり。)
 そんな僕は、相撲については、基本的に伝統擁護派だ。大抵は進取改革派な考え方を持っているつもりだけれど、相撲は別だ。古墳時代まで遡るとも言われている歴史のある相撲が積み上げてきた伝統をしっかり守るべきだと思っている。
 但し、今の幕の内力士に外国人が溢れる状態は悪いとは思わない。朝青龍は親方の教育が悪くて、後味の悪い残念な引退をしてしまったけれど、白鵬や日馬富士など、今の外国人力士は、大相撲の伝統をきちんと継承しているように見える。下手な日本人力士より、そんきょの姿勢も取り口も美しい。

 そして、テニスの全英オープンの優勝者に英国人がなれない状態が続いた事に喩えれば「ウィンブルドン化」とも言うべき今の大相撲の状況は、コンテンツ力という視点で捉えても、非常に価値があると思う。文化輸出をするときに、多くの国から関取(プロの力士)が出ていることは、理解の窓口として有益だ。
 外国人が相撲のしきたりを会得してくれていることは、日本の文化が必ずしも閉鎖的ではなく、普遍的な価値を持ち得るということの証明でもあると思う。
 サムライや忍者などのキャラクターは、アニメやコミックを通じて多く輸出されているので、日本のイメージを鮮烈に訴えることもできるはずだ。

 もう一つの日本古来の武道である柔道は、全く違う道を歩んでいる。五輪で日本人がメダルを取れないことも多いのは、気分としては残念だけど、それだけ国際化しているという証明でもある。カラー柔道着やポイント制度など、「本来の」柔道からは逸脱した形で柔道は、JUDOとして、世界的な競技になっている。
 日本オリジナルのフォーマットが、海外とすり合わせて、変化しながら発展している例と言えるのでは無いか?
 僕はどちらも素晴らしいと思うし、海外で、日本文化を理解してもらうのに、役立ってくれていると思う。

 また、コンテンツのプロデューサーとしても「相撲型」と「JUDO型」の二つの成功例を意識することは、国際化の方法論として有効だと思う。

 さらに加えるなら、はじめから欧州発のグローバルルールに適用しようとする「サッカー型」がある。女子サッカーのなでしこJAPANは世界一という結果出したね。
 米国発祥のスポーツを、日本式にカスタマイズして、「baseball」を、緻密で求道的な「野球道」に仕立て上げた「野球型」もある。炎天下の甲子園で行われる高校野球は功罪あるけれど、日本人に広く野球を浸透させているし、WBCを2連覇して世界一にもなっている。「野球型」も参考になるよね。勇気が持てるといういうべきかも。

 グローバル化の洗礼は、もはや、日本のすべての産業が避けて通れない。
スポーツの4つの類型は、コンテンツだけでじゃなく、企業経営でも参考になるよね。
 白鵬の優勝インタビューを聞きながらそんなことを思った。


 相撲については、こちらもご覧下さい。

  大相撲はスポーツじゃない。文化的な伝統を守るために協会の仕組みを改善すべし。~大相撲八百長疑惑の考え方~



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