2020年4月15日水曜日

作詞家がコーライトソングライターになる意味〜コーライティングムーブメントが起こす音楽制作の地殻変動

 7年目になる作曲家育成プログラム「山口ゼミ」に新しい潮流が生まれています。プロの作詞家がコーライトソングライターになるために受講するというケースです。その意味を整理したいと思います。
 当たり前ですが、J-POPを創る時に歌詞はとても重要です。日本の音楽ファンは歌詞への反応度が濃いと言われています。山口ゼミ〜Co-Writing Farmを一緒にやっている伊藤涼は「作詞力」という著書もあり、「リリックラボ」という作詞家育成プログラムもやっていますので、作詞家志望者が山口ゼミに目をつけるのは不思議は無いと思われるかもしれません。ただ、僕は日本におけるコーライティングムーブメントが新しいフェーズに入ったなと感じました。具体のケースに興味のある方は本人のブログを読んでいただくとして、僕はもう少しマクロな視点を提示したいと思います。

作詞家志望者の苦闘

 自作自演以外のアーティストの場合、近年は「曲先」と言われる、楽曲を完成させてから歌詞を発注するという形が一般的です。作詞家を指名したり、作詞家事務所を経由したコンペだったり、何人かの作詞家にお願いする「指名コンペ」だったりやり方はいつからありますが、いずれにしても「歌詞は最後にハメる」というのが一般的な作り方になっています。
 音楽に限りませんが、制作工程の最後になるということは、締切までの期間が短くなるケースが増えるということです。おのずと作詞家は辛い環境での創作を強いられることが多くなります。それでも実績があって指名をされるなら頑張り甲斐もあるでしょうが、作詞コンペに参加するだけだと、消耗ばかりしていくことになるでしょう。
 僕はこだまさおりがシンガーソングライターとしてデビューして、後に作詞家に転身して成功するまでの経緯をずっと近くで見てきたので、過酷な状況で鍛えられて、元々あるセンス・才能に職人的な技が加わっていくというプロセスに必ずしも否定的な訳ではありませんが、作詞家を目指す人全員にオススメできる環境ではありません。
 古い話で恐縮ですが、作詞家阿久悠は「詞先」の依頼しか受けなかったそうです。昭和を代表するミリオンセラーを山ほど出した大先生との比較は大げさになりますが、これを僕は「作詞家は楽曲のコンセプターだ」という意味に解釈しています。J-Popにおいて歌詞を書くということは本来「楽曲のコンセプト・核を決める」ということのはずなのです。ここでコーライティングの出現です。メロディメイク、トラックメイク、楽器演奏、シンガーなど、得意技を持ったソングライターたちが集まって、一つの楽曲を作り上げる、そこに「コンセプター」としての作詞(リリックライティング)の役割は大きくあります。
 そもそも、プロの作詞家でメロディメイクが全くできないという人はいるのでしょうか?現実にはコードが決められ、アレンジして、ミックスしてと自分で完成形まで作れないと、そもそも他人に聴いてもらえない時代です。「私は鼻歌しかできない」みたいに思って、メロディはつくれないと思っている人がケースは多いのかもしれません。トップライナーとしても関わりながら、コーライティングで作品を創っていく。そこに作詞家としての経験やセンスが活かせる場面は多いでしょう。

クリエイター主導の音楽制作へのパワーシフト

 背景として指摘しておきたいのが、音楽制作においてパワーシフトが起きていることです。20年位前までは、レコード会社のディレクターは良さそうなデモがあると、プリプロダクション(事前作業)用にスタジオを使って、完成形に近づけ仮歌を入れてみるというプロセスが一般的でした。タイアップ先やアーティスト本人や事務所の社長に聴かせるためのデモを作ります。その過程でディレクターが自分のイメージする作品に寄せていく訳です。
 デジタル化の進展で自宅録音のレベルが飛躍的に向上して、プリプロダクションは無くなりました。作曲家がそのままタイアップに出せるクオリティの高いデモを作ってくれて、それがコンペで選べるなら、その方がディレクターは楽ですし、コストも掛かりません。海外作家(アメリカ、北欧、韓国など)から、非常にクオリティの高いデモの売り込みが増えたこともそれに拍車を掛けました。ドラマのプロデューサーやCMのディレクターなど、タイアップのジャッジをするのは音楽の専門家ではありません。「この曲はこういう風にアレンジして仕上げたら素晴らしくなる」と想像力を要求するのは簡単ではなく、「これカッコいい」って聴けばわかるデモが重宝されるのは当然ですね。
 最近は、クリエイター提出デモがコンペで選ばれ、歌詞もアレンジもそのまま使われるというケースが増えてきています。具体的な工程としては、「採用なのでフル尺でください」(コンペは1コーラスのデモで行われるのが普通ですが、これもそろそろ欧米のようにフル尺になっていく気がしています)→「決定なので、ボーカル録音するためのカラオケください」→「ミックスするのでパラデータ下さい」→完成という流れです。クリエイター側にミックスの能力があるメンバーがいる場合は逆にボーカルトラックを受取ミックスも行うケースも少なくありません。つまり「ボーカル録音以外は全部クリエイターが作ったものがリリースされる」ということが普通になってきているのですが、これは欧米でも増えている現象で、決定権自体はディレクターにあっても、実質的な創作、制作のイニシアティブはクリエイターサイドに移ってきている訳です。この傾向はどんどん強まっていますし、そうなっていくでしょう。
 この音楽の制作にはコーライティングというやり方が非常に有効的です。それぞれの得意なスキルを出し合いながら、一つの目標に向かって真摯に議論し、作品を仕上げていく手法。バンドで音楽を作るときに、その人たちの組合せでなければ起きなかった奇跡的な良い作品ができると「バンドマジック」と言って喜びますが、コーライティングは、1曲ごとに「バンドマジック」を起こすようにする、「ソングバイソング・コーライティングマジック」が理想形です。一曲完成したら解散するバンドみたいないことです。やりたくなったらまた再結成すればいいのです。創作の大きな敵は「煮詰まってどうすればよいかわからくなる」なのですが、コーライティングはそれも回避しやすい方法論です。

コーライティングという手法の有効性はレコーディングエンジニアにも。

 作詞家と同じことが、例えばレコーディングエンジニアにも言えます。日本は欧米のように、エンジニアからプロデューサーへとなるパターンが少なく、天才的なレコーディングエンジニアは、職人的に名人になるというパターンが多かったです。立派なプロ仕様のスタジオが音楽制作のファクトリーになって潤沢な制作予算の時はそのことの良さがありました。メジャーレーベルと契約すると新人アーティストでも一流のエンジニアと仕事ができます。その経験で成長してサウンドプロデューサーになっていく人も多かったです。
 環境は変わりました。プロ仕様のスタジオは減っていき、レコーデイングエンジニアは絶滅危惧種となって若い才能が集まらなくなっています。その処方箋もコーライティングです。エンジニアもコーライティングソングライターになることで活路が見出せます。自分のスキルでデモに使われる音色やミックスのクオリティを上げていき、デモが採用されると作曲家として印税が入るだけではなか、ミックスエンジニアの営業にもなる訳です。参加しない理由はないでしょう?
 作詞家はコンセプターで、エンジニアは音色のクオリティアップとミックスで、アーティストは仮歌シンガーとして、それぞれの強みを活かしながら一曲ごとのプロジェクトを組んでいくというのがこれからの音楽制作になっていきます。欧米のように、ソングライターの実績と人脈からアーティストとしてデビューする事例が日本でも増えてくることでしょう。

コンペも「提案型」が主流になる

 今はまだ、A&Rが作家事務所経由でコンペシートを配って数多くの楽曲を集めるコンペが主流ですが、ここにも変化の芽があります。無駄に膨大な曲数を聴く「コンペ疲れ」を感じるのは当然です。クリエイターサイドが、こういう楽曲がこのアーティストの次のビジョンでは無いか?と提案していく形が増えいくでしょう。アーティストとクリエイターのコーライティングでの作品創りも増えてきています。
 レベルの高いクリエイターが1曲毎のコーライティングマジックを目指して作品を創る。それが生まれるクリエイターのネットワークがある、そのネットワークには日本人だけではなく外国人作曲家も入ってくる。彼らを通じて日本人クリエイターも海外市場にアクセスしていく、そんな時代が訪れています。僕が言うこと、やることは「山口早すぎ」と業界ではよく言われてますが(T_T)、同時に僕が確信したことで起きなかったことが無いのも事実です。 僕が予感した「クリエイターファースト」の世界は。コーライティングをテコに日本でも実現していくんだなと今、ヒシヒシと感じています。


 この変化は、社会環境的な必然性がありますので、必ず来ます、音楽家はこのイメージを持って、自分のキャリアプランを立てることをオススメします。僕は、山口ゼミ〜Co-Writing Farmで一つのモデルを提示しました。やり方はいろいろあり得ると思いますが、セルフマネージメントできる自立したクリエイターがネットワークを作って責任を持って創作、デジタルサービスや海外市場も視野において作品を作っていくそういう時代が来ました。

 それができないクリエイターは少しずつですが、確実に淘汰されていきます。(悩みがある人は相談にのるので、連絡ください!)

デジタル化の進展が音楽制作現場に与えた地殻変動

 異業種の方もわかる表現に替えると、業界という「村社会」、インナーサークルで完結していた音楽原盤制作の世界も、他の分野と同じように、デジタル技術によるパーソナライズ化、インターネットによる情報の民主化、緊密化するグローバル市場という大きなトレンドに覆われ、大きな変化が起きつつあるという、そんな当たり前の話です。そうなるとクリエイティビティ、コンテンツ力の勝負になるはずなので、国際基準に乗っかりさえすればレベルの高い日本人クリエイターには大いにチャンスがあるのです。
 野球に喩えるなら(わかりやすいかどうかわかりませんがww)まだ野茂の渡米以前です。ヒロイズムがLAで日本人作曲家の道を切り拓いてくれています。彼は野茂を超えて、イチローになってくれるかもしれません、そうすると松井秀喜も海外に目を向けるし、ダルビッシュも大谷も必ず出てきます。J-popは野球くらいの国際競争力があるなというのは肌感でいつも感じてきたことです。
 みなさん、これから日本の音楽家、特にソングライター・サウンドプロデューサーにご期待下さい!国際感覚のあるクリエイターが増えると日本人アーティストの作品にも貢献できます。これかラ日本の音楽家は海外で稼ぐ時代です。そして有望です。僕はこの動きが活発になるように引き続き頑張ります。
 こんな問題意識で情報発信は続けています。気になる人は、メルマガやpodcast、twitterをチェックして下さい。コロナ禍で在宅ワークになったので、オンラインイベントとかもやっていこうと思うので、peatixのフォローもどうぞ。

2020年4月8日水曜日

JASRAC改革も促すデジタルとグローバルに強い著作権信託会社NexTone。マザーズ上場後の期待。


●ネクストーン阿南CEO「年3~4割売上高伸ばす」

 ネット上では、JASRACの悪口を言うのが大好きな人がたくさんいますよね。僕もJASRACの古い体質に言いたいことはたくさんあるのですが、批判する人たちのほとんどが、誤解もしくは無知からくる感情論で、それを否定していると、なんかJASRAC擁護派みたいになってしまって不本意な気分になります。70年の歴史を持ち、毎年1100億円以上の音楽著作権を徴収分配しているJASRACが日本の音楽業界に大きな貢献をしていることは間違いありません。ただ、歴史の古さ故に問題もたくさん抱えているのです。著作権の話でシンプルな基準があります。何か一家言ある風の人に「NexToneを知ってますか?」と訊いてみるのです。知らなければただの言いたがりなので、その人の著作権ビジネスに関する発言は相手にしなくて良いと思います。是非、みなさん試してみてください。
 2001年施行の著作権等管理事業法で、著作権の徴収分配がJASRAC以外に開放されました。雨後の筍のように第二JASRACができましたが、どこも立ち行かずに消えていきました。その中で残った、JRCとイーライセンスが合併してできたのがNexToneです。株式公開をして社会的な存在感もました育でしょう。コロナ禍もあって資本市場的には困難な中での船出になりましたが、日本の音楽業界が世界市場で活躍するために担う役割が大きい他に替わりのきかない存在です。日本の著作権に関して、もう一つわかりやすい基準があります。現在4%程度のNexToneのシェアが上がれば、音楽業界は良くなります。何故なら、デジタルサービスと、グローバル市場に視野をもった会社だからです。嘘だと思う人は、NexToneについて調べてみてください。僕は株持ってませんし、いわゆる利害関係者ではありませんが、非常に信頼しています。僕にサービスをはじめたばかりのSpotifyの存在を教えてくれたのは現COOの荒川さんです。音楽サービスの未来を感じて興奮して話し合ったのは10年以上前のことです。新しい潮流をチェックし、直接コミュニケーションをとっています。JASRACに一番足らないのは、徴収分配制度の透明性に対する感度ですが、NexToneは前身のJRCのときから「完璧な分配データが入手できなければ、そもそも徴収しない」というスタンスを保ってきています。法的な根拠を背景に「取れるところからで取って、できるかぎり公正に分配する」ことを正義としているJASRACとの最大の違いと言えるでしょう。
 JASRACを不正だと怒る、ファンキー末吉さんや沖野修也さんの批判も根っこはここにあります。友人でもあるので心情的には理解できますし、自分の曲を自分の店で流していて、著作権使用料だけ徴収されて、その楽曲の分配が無いとことに怒りと不信を持つのは当然です。これは大雑把に言うと、JASRACの分配データがアナログだから起きることなのです。おそらく、全体の分配の中で、その曲の分配比率が小さくて、分配データから漏れてしまっているのでしょう。JASRACはそういう事態の対応のために予備の分配枠は取っているでしょうから、きちんと手続きすればそこで対応され支払われるはずです。いずれにしても、何か不正が行われているということでは無いのです。JASRACは創業70年積み上げた信用で徴収分配を行っています、ただ、その信用にカビが生えてしまっていることに鈍感なのが罪なのです。100%透明な分配データを持たないと信頼されないという認識は無いのでしょう。最近、裁判でJASRACが勝った音楽教室での著作権利用についても同じことを感じます。
   3年前に書いたBlogを紹介します。 
●誰がJASRACをカスと呼ばせるのか?

 JASRACについては、あまりにも間違った言説が多いので、近いうちに、一度整理してnoteに書こうと思いますが、最大の問題点は「デジタル時代に透明性に対するシビアさに欠ける」ことです。僕はその原因は、選挙で選ばれる理事の1/3が作詞家、1/3が作曲家である(合わせて2/3、有識者の委嘱理事を含めても過半)というガバナンスが原因だと思っています。高齢で実績のある作詞作曲家の先生は人格的には素晴らしい方々なのでしょうが、デジタルサービスに対する知見をお持ちの方はほとんどいらっしゃいません。役人が大臣を向いて仕事をするように、事務局は理事会を意識しながら業務を行います。JASRACを一般ユーザーや他業種から信頼される存在にするためには、このガバナンスを変えるべきだし、そのためには監督官庁の文化庁の認識が重要なのですが、「カスラック」と言って批判している人たちにそういう指摘を聞いたことがありません。
 これからの日本にとって、音楽著作権の活用は重要です。NexToneをもり立てていきながら、JASRACにデジタル時代に適応した改革を促していく、そんな議論をしていけるとよいなとNexToneの上場に際して、改めて思いました。
 音楽サービスがグローバルになったことで、著作権ビジネスもグローバルな視点が必要です。今週末のMusicTechRadarでは山崎卓也弁護士から最新の状況を伺います。彼の帰国に合わせて組んだ日程が、結局ロンドンからのオンライン参加、どころかイベント自体もオンライン飲みになってしまいましたが、”濃密に”ZOOMで話しますので、興味のある方は是非ご参加ください。

MusicTechRadar Vol.2 グローバル著作権ビジネスWARS