2020年5月18日月曜日

エイベックス松浦さんがCEO退任で語る「コーライティングによるゲームチェンジ」

●エイベックス・松浦勝人氏、CEO退任へ 制作に専念すると表明「後進の育成にも励んでいきたい」

 松浦さんのCEO退任について、僕はなにか語る立場ではありませんし、何も情報を持っていません。ただ、コメントの中に、「音楽の制作手法も個人で作る手法から、Co-Writingというチームで作る手法が増え、まさにゲームチェンジの時を迎えている」との発言があって驚きました。
 僕が伊藤涼を誘って2013年1月に「山口ゼミ」を始めた時は、日本でコーライティングについて語る人は皆無でした。欧米との違いを知っていた僕らは、プロの作曲家を育てる際のテーマとして「コンペに勝つ」という現実的な目先の課題と共に、「Co-Writing(のマインドとスキル)を身につける」の二つを掲げました。実績のある作曲家がたくさんいる中、新たに入り込んでいくための「武器」として「Co-Writing」は有用だろうと思ったからです。スキルの高い作曲家ほど、一人でやれてしまいますから、実績のある作曲家はコーライトに目を向けず、むしろ見下しているような印象もありました。そこにつけ込む余地があった訳です。僕らの予測と目論見は見事に当たり、日本もCo-Writingによる曲作りが主流になりつつあります。Co-Writingに関して経験豊富な「山口ゼミ」卒業生による作曲家コミュニティ「Co-Writing Farm」活躍の場を広げています。まだスター作曲家は誕生していませんが、日本の音楽界に存在感を持ち始めていることは実感します。僕らが海外の一流作曲家とCo-Writingする機会も作っていて、貴重な経験を積み上げています。
 デジタル化によるDAWの進化で起きているクリエイション、音楽制作の変化によりクリエイターサイドに音楽制作のイニシアティブが移ってきています。以前、noteに「作詞家がコーライティングに入っている流れという文脈で触れました。興味のある方は読んでみてください。

●作詞家がコーライトソングライターになる意味〜コーライティングムーブメントが起こす音楽制作の地殻変動

 そして、このクリエイターに音楽創作、制作のパワーシフトは、音楽ビジネスのルール、スキームにも大きな影響を与えることになるでしょう。本稿ではビジネス視点で説明します。大きく二つのポイントがあります。

1)日本独特の出版権の業界慣習が続けられなくなる

 欧米では音楽出版権はソングライターに紐づきますが、日本ではアーティストサイドがコントロールするのが業界慣習です。自作自演系のアーティストでは矛盾は生じませんが、職業作曲家が楽曲提供する場合は、海外と大きな違いが生じます。ジャニーズのアーティストの楽曲の出版権はジャニーズサイドが、AKB48はAKSが、LDH所属アーティストは、、、いずれにしてもアーテイスト側がコントロールして事務所やレコード会社が出版権のルールを決めています。僕は日本の音楽業界で育ち、一番リスクを負い、結果のために努力するのはアーティスト側だと知っているので、このルールに違和感はないのですが、欧米の作曲家は納得しません。どうしても使いたい曲がある場合は、ジャニーズ事務所も外国人作曲家については出版権を渡すことに同意しています。(ちなみにAKB48のコンペに外国人作曲家の参加がNGなのはそれが理由です)海外の音楽出版社は、有望な作曲家と専属契約をして印税アドバンス(前払い)をすることで出版権を確保します。LAの作家たちと話すと、新人段階での彼らの目標は、スマッシュヒットを1曲だして、大手音楽出版社と専属契約を結んで契約金を獲得することです。(その金額が日本円で1千万円以上が相場で、マーケットが大きくて羨ましいですね)ちなみに成功した作曲家は自分で音楽出版社を設立して、自分で出版権を持ちます。 
 現状は、日本人作曲家と外国人作曲家に「逆差別」が起きている訳です。出版権は作家取り分の50%というのが国際的に標準ですから、日本人は外国人の半分しか印税がもらえていないことになります、そして悩ましいのは作家事務所の存在です。本来は音楽出版社が担うべき作曲家の育成が不十分なために、多くの新人作曲家はコンペに参加するために作家事務所に所属することになります。長年アーティストマネージメントをやってきた僕は信じられないのですが作家事務所は40%以上のマネージメント料を取ることが珍しくないのが現状のようです、印税アドバンス(前払い)などのリスクを持たずに、彼らは作家に対してどんな付加価値を付けているのでしょうか?

 さて、この状況だと外国人と日本人がCo-Writingして採用された場合、受け取る印税が、日本人が外国人の1/3以下ということがあり得るようなとんでもない「逆差別」が生じています。では例えば、LAや韓国に移住して外国人みたいなペンネームの日本人作曲家が出てきたらどうなるのでしょうか?日本でコンペに出す際にパスポートのコピーはつけませんので、見分けることは不可能で「外国人ルール」の適用が可能でしょう。意図的にペンネームを外人風にして、「海外作家扱い」を求める事例はでてくるでしょう。いや、おおっぴらにならないだけでもう起きているのかもしれません。作曲家たちの国際化が進んでいくと、このように矛盾がどんどん明らかになっていくのです。

 出版権の日本独自慣習についえは、もうひとつ大きな問題があります。地上波テレビ局の子会社の音楽出版社が、番組タイアップが決まると楽曲の出版権を持っていくという慣習です。これはアメリカでは独禁法の特権的な地位の濫用として、明確に違法ですが、日本では業界の常識として長年続いています、テレビタイアップの影響力が落ちている中で、この慣習も続けられなくなるのはそんなに先のことでは無いでしょう。

 ちなみに、日本の音楽業界が(いつものことですが)うかうかしている間に、アジアにも欧米ルールが根付きつつあるようです。国際化では大きく先行している韓国はもちろんのこと、昨年台北で行なった日本人と台湾人作曲家のコーライティングキャンプでも、台湾作家側も同様の主張がありました。大きな刺激と可能性を感じた台北キャンプのレポートはこちらです。

●台北SONG WRITING CAMP REPORT


2)原盤権(パフォーミングライツ)の位置付けの変化

 レコーディングの費用を負担したところ(多くの場合はレコード会社、事務所や音楽出版社との共同原盤の形も多い)が原盤権を持って、契約に基づき、売り上げから印税をアーティストに払うというのが従来の音楽ビジネスです。ここのルールや仕組み、そこでの金額や料率に関する「相場観」も変化せざるを得ません。これもデジタル化に伴う環境変化が背景にあります
 レコーディング関する費用が著しく下がったことも理由です。20年位前までは、1日30万円位かかるプロフェッショナルスタジオと1時間1万円位の報酬のレコーディングエンジニアでのレコーディングが一般的でした、メジャーレーベルでの契約の相場観は、アルバム制作予算は1500万円前後。「海外レコーディングして3000万円以上かかちゃったよ(笑)」みたいな会話が許される牧歌的な時代でもありました。今は能力の高い音楽家であれば自宅DAWで全てを完成させることも不可能ではありません。数十万円程度の編曲料、ミックス料を払うことで、原盤権をレーベル側を持つことが合理的と言えるのか、微妙な状況になっています。原盤譲渡や原盤供給という契約形態はこれまでもありましたが、大手レーベルは忌避することが多く、その条件も公正さに欠く場合が少なくありませんでした。

 そもそも、CDが主力商品でマスメディア露出とTVタイアップが効果的な宣伝手法だった時代は、レコード会社が音楽ビジネスのプラットフォームも担っていたので、資金力の問題だけではなく、収入の主な入り口がレコード会社であることに必然性があり、アーティストにとっても作曲家にとってもメリットがありました。ストリーミングサービスとSNSでヒットが生まれる時代になりつつある中、レコード会社が付けられる付加価値の余地はどのくらい残っているのでしょうか?
 原盤権のあり方の変化は、もう一つの変化に繋がります。音楽業界を調べようとして、業界団体がたくさんあってよくわからないなと思ったことがある人はいるかもしれません。各団体は様々な歴史的経緯に基づく存在理由があるのですが、大まかに言うと「権利ごとに団体がある」という側面があります。煩雑になるので詳細は割愛しますが、アーティストとソングライターたちがCo-Writingで作品をつくって、ストリーミングサービスで配信するようになると、そもそも権利の区分をする合理性が揺らぎます。「一箇所にまとめて分配した方が合理的なのでは?」という声は強くなっていくでしょう。コーライトが音楽制作の主流になることは、様々な変化とセットなのです。全体の大きな変化の方向は、音楽家に比重が移っていくパワーシフトです。これは環境の変化に伴う必然なので、止められず、必ず起きます。業界の中で仕事してきた人には(僕も含めて)信じられない変化ですが、5年後に今ままでと同じルールが通用するとは思えないのが厳然たる事実でもあります。

 さて、良い方向に向かっているように思える音楽ビジネスのパワーシフト。音楽家の発言力が強くなっていく際の僕の心配は、日本の音楽家がそれに耐え得るかということです。

ゲームチェンジに日本の音楽家は準備できているのか?

 松浦さんの記事を見つけて、Co-Writing Farmのメンバー何人かがいるメッセンジャーのスレッドに、興奮気味に「コーライティングに日が当たるというチャンスだよ」と投げたところ、作家達の反応は「社長が言っても、現場のスタッフに響くんですかね?ディレクターがコーライト作品に興味持ってもらえなけば、僕らにはメリットないです」とのレスで、心底がっかりしました。「どんだけ受託根性がしみついてんねん!もうお前とは話さん!」とキレました。(人間ができてなくてすいません><)
 と言いつつ実は、「山口ゼミ」では「作曲家やアレンジャーは、BtoB (toC)な職業で、まずは楽曲を採用し、リリースするディレクターやアーティストの役に立てるようにに自分のセンスとスキルを提供しなさい、独りよがりになってはダメです。」と指導しています。彼らはその教えを忠実に守り、頑張っているのかもしれません。現在の目先の課題をクリアーしていくことと、ゲームチェンジングに備えることの両立の難しさを実感しました。「山口さんは夢みたいなこと言ってればいいだろうけれど、僕らは来週のコンペで勝ちたいんです」というのが彼らの本音だとしても当然ですね。
 そんな感じでショゲていたら、古い友人でもあるサウンドプロデューサー浅田祐介が元気をくれました。実績のある作曲家、サウンドプロデューサーが集まって、「ORDI」というプロジェクトを立ち上げるのだそうです。受身だけの姿勢をやめて、クリエイター自身がビジネスにコミットしていくムーブメントのようです。藤井丈司、多胡邦夫、島野聡といった才能も経験も豊富な日本人サウンドプロデューサー達が連携して動くのは興味深いです。彼らの活躍に期待します。

 デジタル化の進展は、情報やノウハウの「ブラックボックス」を無くしていきます。民主化と中抜きは避けられず、付加価値がつけられない存在は葬り去られます。僕自身は音楽ビジネスのプロフェッショナルとして、アーテイストに貢献する(付加価値がつけられる)自負があるので、個人としての恐怖感や嫌悪感はありませんが、従来型の芸能界、音楽業界のやり方が通用しなくなることは間違いありません。音楽ビジネスは音楽家の側に戻ります。日本のアーティストやクリエイターはその責任を背負うだけの自負とビジネスに対する知見を持っているのでしょうか?権利と義務はセットです。僕が心配なのは、これまで業界に守られ(視点によってスポイルされ搾取されていたとも言えます)日本の音楽家たちのビジネスマインドと責任感の欠如です。音楽業界という村社会で、お行儀よくしていれば、誰かが引き上げてくれるという時代は終了しました。コーライティングが生まれてくる背景と、普及していく結果が、松浦さんが指摘された「ゲームチェンジ」を促進していことは間違いありません。

松浦さんは、日本のMAXとしてCo-Writingに参加を!

 最後に、松浦さんは引退する心配はしていません(笑)、新しいことに常に挑戦していく松浦さんは音楽業界に革新をもたらしてきました。これを機会に、コーライティングにディレクタースタンスで参加してワールドヒットを連発しているマックス・マーティンの存在をベンチマークし「日本のマックスマーティンは(伊藤涼ではなく)松浦勝人だ!(通称Maxだしww)」と言って、コーライティングのメンバーになる(コーライトインする)ことを期待します。作曲家たちは正直やりずらいんでしょうが、楽曲の採用率が高くなり、ヒットの確率が上がるメンバーの参加は歓迎のはずです。

●全米1位獲得曲数歴代3位のMax Martin(マックス・マーティン)が世界的プロデューサーとして世に送り出した洋楽ヒット曲とは?

2020年5月3日日曜日

テレワーク率から浮き上がる日本企業の仕事の仕方の問題。ホワイトカラーの半分以上は不要かもしれない

 コロナ禍で浮き彫りになったことはたくさんあります。共産党による官僚体制で独裁された国家が国際市場の中心にいるという矛盾が、ウィルスを世界中に拡散させました。安倍首相とそのブレーンは、音楽でのコラボレーションの意味を知りませんでした。日本国家は、非常事態宣言をする前に各所に根回しをし、メディアを通じて予告してから行い、しかも強制力はなく、地方自治体に委ねるという統治システムでした。揶揄することは簡単ですが、僕たちがそんな世界、時代に生きていることは事実です。その意味をきちんと受け止め、深く考えて、今後に活かすことが重要だと思います。

 僕は何事にも功罪あると考えるタイプなので、コラボの意味もわからない人たちが、星野源の価値や影響力を知ったことは素晴らしいと思いますし、日本国民としてボトムアップ型の民主主義社会には良い面もあるなと素直に思います。

●テレワーク実施率 3月 4月 比較、倍増するも 3 割に届かず

 そんな時に、テレワークの実施が3割以下という調査結果を見て、率直に驚きました。僕の知人は、ほぼ全員がテレワークしています。1週間以上で公共交通機関に乗っていない人がほとんどです。エンタメやITとは違う業種は世の中にたくさんありますし、「エッセンシャルワーカー」と呼ばれる、社会経済を回すために働かく人がいることももちろん理解しています。個人的には、現状で基礎疾患をお持ちの方や高齢者以外の感染リスクはあまり高くないという認識なので、恐怖感みたいなものとは無縁ですし、むしろ外出者をパッシングするヒステリックな感情の方がよくないと思うのですが、ただ、日本中がstay homeと言っている時のこの割合には率直に驚きました。オフィスに行かないと仕事ができない人ってどういう仕事のやり方をしているのでしょうか?

 以下は、直感的な内容で論じるので、矛盾があれば、遠慮なくご指摘下さい。不愉快になった方はごめんなさい。でも直感的ですが、おそらく正しいだろうという確信があることを申し上げます。「テレワークできない7割の半分以上は、そもそもその仕事要らないのでは?」「5年を待たずに、ロボットやAIに置換えられるのでは?」ということです。7割✕8割だと56%、6割だとしても42%が、非効率なやり方、ないし本質的には不要な仕事をしていることになるなと暗算しつつ驚きました。特にホワイトカラー、事務職、営業職、総合職に関しては、致命的です。仕事のやり方が根本的に間違っている、組織の運営方法が惰性で機能していない可能性が高いでしょう。

 エンタメ業界以外のビジネススキームや組織運営には詳しくないので、具体的な例示ができなくて申し訳ないのですが、出社の主な理由に「紙の書類に押印するため」があることが象徴的です。クライアント向けのサービスでセキュリティの懸念から出社が必要というのは、そもそもそのセキュリティのやり方は、マストかつ適切だったのかが問われますね。自分たちが普段当たり前のようにやっていることが、コストや工数が無駄だったこと、組織内外の仕事上のコミュニケーションに無駄が大きかったことをCOVID-19は浮き彫りにしています。

既にIT企業を中心にオフィススペース縮小の動きが始まっています。在宅中心に仕事の仕方を切り替えることで、効率も快適さ向上できるのだとすれば、みんなが集まるオフィスは最小限で良いですし、紙の書類の保存の必要も今後はどんどん無くなり、電子化していくでしょう。経営者にとっては、経費削減と業務改善の大チャンスです。

 日本企業の場合は、そもそも経営者にテレワークに否定的な方、もしくは対応できない方も少なからずいらっしゃるようですが、まずその人達を企業の意思決定から外さないといけません。ITリテラシーが低い方は、コミュニケーションリテラシーにも欠点がある場合が多いですね。

 日本企業の最大の欠点は、高度成長期に染み付いた(昭和な)成功体験から抜けられずに、思考停止していて「仕組みのアップデート」ができていないことです。できた時には意味があったのかもしれないやり方が、その意味を問い返すことなく無自覚に続いてしまっている「無駄」の集積が残念でなりません。リクルートスーツに身を包んだ紺とグレーの若者たちを見かける度に、暗澹たる気持ちになります。学校を9月新学期にする話が話題になっていますが、4月でも9月でもよいから画一的に学生を社会に受け入れる過去の仕組みを改めることのほうが重要です。新卒一括採用を続けている限り、日本の産業界は駄目なんだろうぁ、ってまさに直感的に思います。

 COVID-19は、世界中のこれまで頬かむりをしてきた矛盾を暴き出すために、神様が与えてくれたのかもしれません。変わるための好機だと捉えたいです。Stay homeしながら、考えて未来に活かしていきましょう。

2020年4月15日水曜日

作詞家がコーライトソングライターになる意味〜コーライティングムーブメントが起こす音楽制作の地殻変動

 7年目になる作曲家育成プログラム「山口ゼミ」に新しい潮流が生まれています。プロの作詞家がコーライトソングライターになるために受講するというケースです。その意味を整理したいと思います。
 当たり前ですが、J-POPを創る時に歌詞はとても重要です。日本の音楽ファンは歌詞への反応度が濃いと言われています。山口ゼミ〜Co-Writing Farmを一緒にやっている伊藤涼は「作詞力」という著書もあり、「リリックラボ」という作詞家育成プログラムもやっていますので、作詞家志望者が山口ゼミに目をつけるのは不思議は無いと思われるかもしれません。ただ、僕は日本におけるコーライティングムーブメントが新しいフェーズに入ったなと感じました。具体のケースに興味のある方は本人のブログを読んでいただくとして、僕はもう少しマクロな視点を提示したいと思います。

作詞家志望者の苦闘

 自作自演以外のアーティストの場合、近年は「曲先」と言われる、楽曲を完成させてから歌詞を発注するという形が一般的です。作詞家を指名したり、作詞家事務所を経由したコンペだったり、何人かの作詞家にお願いする「指名コンペ」だったりやり方はいつからありますが、いずれにしても「歌詞は最後にハメる」というのが一般的な作り方になっています。
 音楽に限りませんが、制作工程の最後になるということは、締切までの期間が短くなるケースが増えるということです。おのずと作詞家は辛い環境での創作を強いられることが多くなります。それでも実績があって指名をされるなら頑張り甲斐もあるでしょうが、作詞コンペに参加するだけだと、消耗ばかりしていくことになるでしょう。
 僕はこだまさおりがシンガーソングライターとしてデビューして、後に作詞家に転身して成功するまでの経緯をずっと近くで見てきたので、過酷な状況で鍛えられて、元々あるセンス・才能に職人的な技が加わっていくというプロセスに必ずしも否定的な訳ではありませんが、作詞家を目指す人全員にオススメできる環境ではありません。
 古い話で恐縮ですが、作詞家阿久悠は「詞先」の依頼しか受けなかったそうです。昭和を代表するミリオンセラーを山ほど出した大先生との比較は大げさになりますが、これを僕は「作詞家は楽曲のコンセプターだ」という意味に解釈しています。J-Popにおいて歌詞を書くということは本来「楽曲のコンセプト・核を決める」ということのはずなのです。ここでコーライティングの出現です。メロディメイク、トラックメイク、楽器演奏、シンガーなど、得意技を持ったソングライターたちが集まって、一つの楽曲を作り上げる、そこに「コンセプター」としての作詞(リリックライティング)の役割は大きくあります。
 そもそも、プロの作詞家でメロディメイクが全くできないという人はいるのでしょうか?現実にはコードが決められ、アレンジして、ミックスしてと自分で完成形まで作れないと、そもそも他人に聴いてもらえない時代です。「私は鼻歌しかできない」みたいに思って、メロディはつくれないと思っている人がケースは多いのかもしれません。トップライナーとしても関わりながら、コーライティングで作品を創っていく。そこに作詞家としての経験やセンスが活かせる場面は多いでしょう。

クリエイター主導の音楽制作へのパワーシフト

 背景として指摘しておきたいのが、音楽制作においてパワーシフトが起きていることです。20年位前までは、レコード会社のディレクターは良さそうなデモがあると、プリプロダクション(事前作業)用にスタジオを使って、完成形に近づけ仮歌を入れてみるというプロセスが一般的でした。タイアップ先やアーティスト本人や事務所の社長に聴かせるためのデモを作ります。その過程でディレクターが自分のイメージする作品に寄せていく訳です。
 デジタル化の進展で自宅録音のレベルが飛躍的に向上して、プリプロダクションは無くなりました。作曲家がそのままタイアップに出せるクオリティの高いデモを作ってくれて、それがコンペで選べるなら、その方がディレクターは楽ですし、コストも掛かりません。海外作家(アメリカ、北欧、韓国など)から、非常にクオリティの高いデモの売り込みが増えたこともそれに拍車を掛けました。ドラマのプロデューサーやCMのディレクターなど、タイアップのジャッジをするのは音楽の専門家ではありません。「この曲はこういう風にアレンジして仕上げたら素晴らしくなる」と想像力を要求するのは簡単ではなく、「これカッコいい」って聴けばわかるデモが重宝されるのは当然ですね。
 最近は、クリエイター提出デモがコンペで選ばれ、歌詞もアレンジもそのまま使われるというケースが増えてきています。具体的な工程としては、「採用なのでフル尺でください」(コンペは1コーラスのデモで行われるのが普通ですが、これもそろそろ欧米のようにフル尺になっていく気がしています)→「決定なので、ボーカル録音するためのカラオケください」→「ミックスするのでパラデータ下さい」→完成という流れです。クリエイター側にミックスの能力があるメンバーがいる場合は逆にボーカルトラックを受取ミックスも行うケースも少なくありません。つまり「ボーカル録音以外は全部クリエイターが作ったものがリリースされる」ということが普通になってきているのですが、これは欧米でも増えている現象で、決定権自体はディレクターにあっても、実質的な創作、制作のイニシアティブはクリエイターサイドに移ってきている訳です。この傾向はどんどん強まっていますし、そうなっていくでしょう。
 この音楽の制作にはコーライティングというやり方が非常に有効的です。それぞれの得意なスキルを出し合いながら、一つの目標に向かって真摯に議論し、作品を仕上げていく手法。バンドで音楽を作るときに、その人たちの組合せでなければ起きなかった奇跡的な良い作品ができると「バンドマジック」と言って喜びますが、コーライティングは、1曲ごとに「バンドマジック」を起こすようにする、「ソングバイソング・コーライティングマジック」が理想形です。一曲完成したら解散するバンドみたいないことです。やりたくなったらまた再結成すればいいのです。創作の大きな敵は「煮詰まってどうすればよいかわからくなる」なのですが、コーライティングはそれも回避しやすい方法論です。

コーライティングという手法の有効性はレコーディングエンジニアにも。

 作詞家と同じことが、例えばレコーディングエンジニアにも言えます。日本は欧米のように、エンジニアからプロデューサーへとなるパターンが少なく、天才的なレコーディングエンジニアは、職人的に名人になるというパターンが多かったです。立派なプロ仕様のスタジオが音楽制作のファクトリーになって潤沢な制作予算の時はそのことの良さがありました。メジャーレーベルと契約すると新人アーティストでも一流のエンジニアと仕事ができます。その経験で成長してサウンドプロデューサーになっていく人も多かったです。
 環境は変わりました。プロ仕様のスタジオは減っていき、レコーデイングエンジニアは絶滅危惧種となって若い才能が集まらなくなっています。その処方箋もコーライティングです。エンジニアもコーライティングソングライターになることで活路が見出せます。自分のスキルでデモに使われる音色やミックスのクオリティを上げていき、デモが採用されると作曲家として印税が入るだけではなか、ミックスエンジニアの営業にもなる訳です。参加しない理由はないでしょう?
 作詞家はコンセプターで、エンジニアは音色のクオリティアップとミックスで、アーティストは仮歌シンガーとして、それぞれの強みを活かしながら一曲ごとのプロジェクトを組んでいくというのがこれからの音楽制作になっていきます。欧米のように、ソングライターの実績と人脈からアーティストとしてデビューする事例が日本でも増えてくることでしょう。

コンペも「提案型」が主流になる

 今はまだ、A&Rが作家事務所経由でコンペシートを配って数多くの楽曲を集めるコンペが主流ですが、ここにも変化の芽があります。無駄に膨大な曲数を聴く「コンペ疲れ」を感じるのは当然です。クリエイターサイドが、こういう楽曲がこのアーティストの次のビジョンでは無いか?と提案していく形が増えいくでしょう。アーティストとクリエイターのコーライティングでの作品創りも増えてきています。
 レベルの高いクリエイターが1曲毎のコーライティングマジックを目指して作品を創る。それが生まれるクリエイターのネットワークがある、そのネットワークには日本人だけではなく外国人作曲家も入ってくる。彼らを通じて日本人クリエイターも海外市場にアクセスしていく、そんな時代が訪れています。僕が言うこと、やることは「山口早すぎ」と業界ではよく言われてますが(T_T)、同時に僕が確信したことで起きなかったことが無いのも事実です。 僕が予感した「クリエイターファースト」の世界は。コーライティングをテコに日本でも実現していくんだなと今、ヒシヒシと感じています。


 この変化は、社会環境的な必然性がありますので、必ず来ます、音楽家はこのイメージを持って、自分のキャリアプランを立てることをオススメします。僕は、山口ゼミ〜Co-Writing Farmで一つのモデルを提示しました。やり方はいろいろあり得ると思いますが、セルフマネージメントできる自立したクリエイターがネットワークを作って責任を持って創作、デジタルサービスや海外市場も視野において作品を作っていくそういう時代が来ました。

 それができないクリエイターは少しずつですが、確実に淘汰されていきます。(悩みがある人は相談にのるので、連絡ください!)

デジタル化の進展が音楽制作現場に与えた地殻変動

 異業種の方もわかる表現に替えると、業界という「村社会」、インナーサークルで完結していた音楽原盤制作の世界も、他の分野と同じように、デジタル技術によるパーソナライズ化、インターネットによる情報の民主化、緊密化するグローバル市場という大きなトレンドに覆われ、大きな変化が起きつつあるという、そんな当たり前の話です。そうなるとクリエイティビティ、コンテンツ力の勝負になるはずなので、国際基準に乗っかりさえすればレベルの高い日本人クリエイターには大いにチャンスがあるのです。
 野球に喩えるなら(わかりやすいかどうかわかりませんがww)まだ野茂の渡米以前です。ヒロイズムがLAで日本人作曲家の道を切り拓いてくれています。彼は野茂を超えて、イチローになってくれるかもしれません、そうすると松井秀喜も海外に目を向けるし、ダルビッシュも大谷も必ず出てきます。J-popは野球くらいの国際競争力があるなというのは肌感でいつも感じてきたことです。
 みなさん、これから日本の音楽家、特にソングライター・サウンドプロデューサーにご期待下さい!国際感覚のあるクリエイターが増えると日本人アーティストの作品にも貢献できます。これかラ日本の音楽家は海外で稼ぐ時代です。そして有望です。僕はこの動きが活発になるように引き続き頑張ります。
 こんな問題意識で情報発信は続けています。気になる人は、メルマガやpodcast、twitterをチェックして下さい。コロナ禍で在宅ワークになったので、オンラインイベントとかもやっていこうと思うので、peatixのフォローもどうぞ。

2020年4月8日水曜日

JASRAC改革も促すデジタルとグローバルに強い著作権信託会社NexTone。マザーズ上場後の期待。


●ネクストーン阿南CEO「年3~4割売上高伸ばす」

 ネット上では、JASRACの悪口を言うのが大好きな人がたくさんいますよね。僕もJASRACの古い体質に言いたいことはたくさんあるのですが、批判する人たちのほとんどが、誤解もしくは無知からくる感情論で、それを否定していると、なんかJASRAC擁護派みたいになってしまって不本意な気分になります。70年の歴史を持ち、毎年1100億円以上の音楽著作権を徴収分配しているJASRACが日本の音楽業界に大きな貢献をしていることは間違いありません。ただ、歴史の古さ故に問題もたくさん抱えているのです。著作権の話でシンプルな基準があります。何か一家言ある風の人に「NexToneを知ってますか?」と訊いてみるのです。知らなければただの言いたがりなので、その人の著作権ビジネスに関する発言は相手にしなくて良いと思います。是非、みなさん試してみてください。
 2001年施行の著作権等管理事業法で、著作権の徴収分配がJASRAC以外に開放されました。雨後の筍のように第二JASRACができましたが、どこも立ち行かずに消えていきました。その中で残った、JRCとイーライセンスが合併してできたのがNexToneです。株式公開をして社会的な存在感もました育でしょう。コロナ禍もあって資本市場的には困難な中での船出になりましたが、日本の音楽業界が世界市場で活躍するために担う役割が大きい他に替わりのきかない存在です。日本の著作権に関して、もう一つわかりやすい基準があります。現在4%程度のNexToneのシェアが上がれば、音楽業界は良くなります。何故なら、デジタルサービスと、グローバル市場に視野をもった会社だからです。嘘だと思う人は、NexToneについて調べてみてください。僕は株持ってませんし、いわゆる利害関係者ではありませんが、非常に信頼しています。僕にサービスをはじめたばかりのSpotifyの存在を教えてくれたのは現COOの荒川さんです。音楽サービスの未来を感じて興奮して話し合ったのは10年以上前のことです。新しい潮流をチェックし、直接コミュニケーションをとっています。JASRACに一番足らないのは、徴収分配制度の透明性に対する感度ですが、NexToneは前身のJRCのときから「完璧な分配データが入手できなければ、そもそも徴収しない」というスタンスを保ってきています。法的な根拠を背景に「取れるところからで取って、できるかぎり公正に分配する」ことを正義としているJASRACとの最大の違いと言えるでしょう。
 JASRACを不正だと怒る、ファンキー末吉さんや沖野修也さんの批判も根っこはここにあります。友人でもあるので心情的には理解できますし、自分の曲を自分の店で流していて、著作権使用料だけ徴収されて、その楽曲の分配が無いとことに怒りと不信を持つのは当然です。これは大雑把に言うと、JASRACの分配データがアナログだから起きることなのです。おそらく、全体の分配の中で、その曲の分配比率が小さくて、分配データから漏れてしまっているのでしょう。JASRACはそういう事態の対応のために予備の分配枠は取っているでしょうから、きちんと手続きすればそこで対応され支払われるはずです。いずれにしても、何か不正が行われているということでは無いのです。JASRACは創業70年積み上げた信用で徴収分配を行っています、ただ、その信用にカビが生えてしまっていることに鈍感なのが罪なのです。100%透明な分配データを持たないと信頼されないという認識は無いのでしょう。最近、裁判でJASRACが勝った音楽教室での著作権利用についても同じことを感じます。
   3年前に書いたBlogを紹介します。 
●誰がJASRACをカスと呼ばせるのか?

 JASRACについては、あまりにも間違った言説が多いので、近いうちに、一度整理してnoteに書こうと思いますが、最大の問題点は「デジタル時代に透明性に対するシビアさに欠ける」ことです。僕はその原因は、選挙で選ばれる理事の1/3が作詞家、1/3が作曲家である(合わせて2/3、有識者の委嘱理事を含めても過半)というガバナンスが原因だと思っています。高齢で実績のある作詞作曲家の先生は人格的には素晴らしい方々なのでしょうが、デジタルサービスに対する知見をお持ちの方はほとんどいらっしゃいません。役人が大臣を向いて仕事をするように、事務局は理事会を意識しながら業務を行います。JASRACを一般ユーザーや他業種から信頼される存在にするためには、このガバナンスを変えるべきだし、そのためには監督官庁の文化庁の認識が重要なのですが、「カスラック」と言って批判している人たちにそういう指摘を聞いたことがありません。
 これからの日本にとって、音楽著作権の活用は重要です。NexToneをもり立てていきながら、JASRACにデジタル時代に適応した改革を促していく、そんな議論をしていけるとよいなとNexToneの上場に際して、改めて思いました。
 音楽サービスがグローバルになったことで、著作権ビジネスもグローバルな視点が必要です。今週末のMusicTechRadarでは山崎卓也弁護士から最新の状況を伺います。彼の帰国に合わせて組んだ日程が、結局ロンドンからのオンライン参加、どころかイベント自体もオンライン飲みになってしまいましたが、”濃密に”ZOOMで話しますので、興味のある方は是非ご参加ください。

MusicTechRadar Vol.2 グローバル著作権ビジネスWARS