2011年9月11日日曜日

2011.9.11に思うこと。〜米国同時多発テロから10年。東日本大震災から半年〜


2001911日は、ニューヨークのマンハッタンに居た。2週間ほど滞在する予定の折り返し点で、塩谷達也という所属アーティストが、ニュージャージーのゴスペル教会でのレコーディングを終えて、僕の部屋に泊まりに来ていた。

当時は、ニューヨークに行くと、アッパーウエストの短期リースマンションを定宿にしていた。その部屋で、「テレビを観てください」と、たたき起こされた。寝起きの悪い僕が、「ナニコレ?何の映画?」と言ったのを覚えている。「違いますよ!CNNですよ!」と言われて、目が覚めた。日本でも何度も流れたであろう映像は、米国でも繰り返し放送されていた。最初はダイナマイトの爆発かと思ったが、4回目くらいに、飛行機がWTCのビルに突っ込んでいるのが見てとれて、これはただ事じゃないなと気がついた。その頃には日本からもたくさんの電話が掛かってきて、「ともかく食事と水だけは確保した方がよい」と言われて、近所のデリに買い物に行った。

僕が泊まっていたアッパーウエスト80丁目とワールド・トレード・センター(WTC)は、東京で言えば、東京駅と三軒茶屋位の距離はあると思う。煙も見えないし、匂いも届かない。部屋に居ても、騒動はわからなかった。塩谷も目が覚めて、メールチェックして、日本からのメールで知り、テレビをつけたそうだ。パンとワインとハムとチーズなどを買い込んで「ホームパーティやるんじゃないですよ」と揶揄されながら部屋に戻ると、窓からは帰宅する人々の姿が見えた。地下鉄が止まり、歩くしかなかったのだ。

半年前、2011311日の渋谷の街の光景を見て、あの時のニューヨークを思い出した。ニューヨーカーも冷静だったけれど、あの時の東京人たちも秩序のある行動だったと思う。

20代半ばから、何度となく訪れたニューヨークは、僕にとって心の故郷とも言えるような大好きで大切な都市だ。WTCというビル自体には、特別な思い入れは無いけれど、ニューヨーカーの人たちが悲嘆に暮れている姿を見るのは辛かった。友人の家族が死んだ時のような気持。バーは営業していたので、毎晩遅くまで、深酒してしまった。

3日ほどたって、いくつかのミュージカルが再開した。仕事もできず、飛行機の運航状況をチェックする以外にやることが無い僕は、オフブロードウエイに足を運んだ。ミュージカルの内容は覚えていないけれど、カーテンコールで、出演者全員が舞台に上がって、肩を組んで「God bless America」を歌ったのは印象的だった。

変な言い方かもしれないけれど、ニューヨークに居るときは、アメリカ合衆国を意識することが少ない。移民が多いこともあるし、ニューヨークという街の魅力と吸引力が大きいからだろう。ところが、9.11後は、アメリカを意識させられて、疎外感も味わった。愛国心が高揚した時のアメリカ人の姿には、何故か違和感を覚えてしまう。

あの日を境に、アメリカも変わった。9.11のショックとブッシュJrの無能ぶり
が、無ければ、黒人大統領を選ぶというラディカルな選択はできなかったのでは無いだろうか?その極端さがアメリカの魅力と強みでもあるのだけれど。
おそらくブッシュは、1000年後に人類史4000年を振り返っても五本の指に入る愚帝だろう。ゴアを全面的に支持するわけでは無いけれど、あの超僅差だった大統領選でゴアが勝っていれば、9.11テロも未然に防げたらしいという情報を知ると、歴史の不思議と残酷さを感じる。

そんな風に考えていると、千年に一度の大災害の時の首相が、「市民派」の菅さんだったのは、日本人の不幸だと思うし、同時に、僕たちは、これからの日本をよい方向に変えていけるのかと考えさせられる。原発の賛否の話ばかりになっているけど、太平洋戦争後、高度成長を経て、まあまあ良い感じだった日本という国が、このまま落ちぶれてしまうのか、魅力のある国でいるのか、原発云々よりももっと大きな境目にいる気がしてならない。10年後、20年後に振り返った時に、この未曾有の大災害が、結果的に日本をよくする契機になったと思えるようにしたいと心から願う。

10年前の9月のニューヨークの空気も沈痛が覆っていた。不屈の精神を持っているように感じた。あの時のことは、一生忘れないと思っていたけど、所詮は、人ごとだったんだと、今回の震災を経験してわかった。

3.119.11、どんな記念日よりも重い、イレブンスを半年ごとに迎えることになるんだな。
そんな事を思っていたら、大阪在住のシンガーソングライター・ササキホナミが、こんな曲をYou Tubeにアップしてた。
原発事故で将来を悲観して自殺してしまった93歳の女性の事を歌った歌。こんな悲劇を産んだことを忘れてはいけないね。歌はとてもよいと思うので、聴いてみてください。





1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

あの日、私はJFKにいた。帰国前の最後のお土産を物色中にみんなの知ってるあの映像を壁掛けテレビで見た。映画だと思った。レジのおばさんとも、そんな話をした。
でも、現実だった。それからは長い話になる。
結局、一週間足止め。良い経験だったと思っている。
きょん