事務局長の独断だったかどうかなんて、全然、興味ない。第三者機関の設立とか、時間の無駄だ。
僕が、コミッショナーとプロ野球機構事務局長に欠けていると思うのは、野球への愛情と公共財という認識だ。
この記者会見からは、野球への「愛情」や、日本の大切な文化を預かっているという「矜持」が、全く感じられなかった。プロ野球コミッショナーが野球への愛を表現できないというのは、非常に大きな「不祥事」だと思う。そもそも人選を間違えている。
これは、喩えるなら野球の神様への冒涜だ。日本人である僕の信仰心は、八百万の神を敬う気持がある。テレビでプロ野球を観て、近所で草野球をやっていた子供の頃から、野球は大切なものだ。
「野球の神様を大切に」という言葉には、選手、指導者、審判、ファン、100年を超える(少なくとも日本の)野球に関わった全ての人へのリスペクトが込められている。
選手会が、この件へのオブジェクションで、「契約条件が…」を理由にしたのはよろしくなかった。ファンのマインドが冷める。「同じボールを使っているから、条件は共通ですよね。」とクールでいて欲しかった。
野球を仕事に人たちは、日本人に広く愛され、数多くの名選手を生み、WBCでは2度も世界一になり、様々な人が関わってきた「野球」に対して真摯であるべきだ。比喩的に言うなら、野球の神様に恥ずべきことはしてはならないのだ。
僕がナベツネ(に象徴される読売新聞が野球を冒涜するスタンス)に嫌気がさして巨人ファンをやめたのは、野球の神様に胸を張れることだと(まったく個人的な、他人にはどうでもよいことだろうけれど)思っている。
そんな事を熱く、思っていたら、「お前、音楽はどうなんだ!」という声がどこかから、聞こえてきた。
そう言えば、僕は、「音楽の神様に恥ずべき云々」という発言をすることがある。
IT事業者が、音楽を道具にするのは、この価値観で嫌だ。スティーブ・ジョブズは尊敬する起業家だけれど、音楽の神様を大切にするという価値観では、褒められないと思う。ジョブズ自身は主観的には、音楽が好きだったかもしれないけれど、楽曲を一律99セントと定めて売るという発想は、多様性の担保が大切と考える立場とは真逆だ。
Googleがコンテンツ流通のルールを決める社会になることに、僕が絶対に絶対反対なのは、「音楽の神様がお喜びにならない」という確信があるからだ。アーティストもユーザーもプロデューサーも、音楽に深い愛情を持った人たちが、ルール決定に関与できる社会に、少なくとも日本はありたいと思うし、そのために努力したい。
さて、音楽業界はどうだろう?私利私欲で、判断をしてないだろうか?もちろん、僕たち愚かである人間は現世で生きていくために、キレイゴトだけでは居られない。いつもいつも、音楽の神様を第一にはしていらなれない。でも、音楽の神様に恥ずかし事はしたくないと思う。
レコード会社の音楽配信サービスへ許諾の姿勢については、どうだろう?自社の利益を追求したいのは、会社として当然だ。
一方で、音楽は野球と同じような意味で「公共財」であるという認識が必要だ。ましてやレコード会社はお金を出しただけで、実際に創作している訳では無い。許される「教義」は、自己(とアーティスト)の権利の経済的利益の最大化だろう。膨大なカタログ数をできるだけ、多くの人に聴かせて、換金もする、というスタンスを明確にすべきだ。
クラウド型の音楽ストリーミングサービスに対する許諾には、経済的合理性を伴うことは必須だと思う。特に「許諾をしない」のだとしたら、アーティストやユーザーが納得できる理由が必要だ。
Googleは論外で、アップル社にも懐疑的な僕が、Spotifyをはじめるとする近年のストリーミングサービスに好意的なのは、開発者や経営者から音楽への愛情が感じられるのが理由の一つだ。実際、SXSWで会った音楽サービス事業者は音楽好きが多かった。僕が音楽プロデューサーだと知ると、「どんな音楽をつくっているんだ、聴かせてくれ」という奴もいた。
新しい技術を活用しながら、ユーザーと音楽との出会いを増やし、再生回数に応じて、透明に分配するという考え方は、とても良いと思う。
レコード会社は、カタログの収益最大化という考え方の延長で、MG(ミニマム・ギャランティ)をがっぽり取ってよいので、新しいサービスを積極的に活用するべきだと思う。
音楽も野球も公共的な財産だ。積み上げてきた先人達の歴史があり、支えるファンがいる。傲慢になって「音楽の神様」や「野球の神様」に対する敬意を忘れてはいけない。自戒も込めて、しみじみ思う。
今回のプロ野球機構の「統一球情報隠蔽事件」は、自分が大切にするものは、何か。考える機会になった。だけど、感謝しないよ。コミッショナー!
プロ野球コミッショナーは、野球の神様に仕える神官の自覚を持つべきだ。
プロ野球コミッショナーは、野球の神様に仕える神官の自覚を持つべきだ。
もう、お金も名誉も十二分におありなのでしょうから、晩節を穢されませんようにと、僭越ながら申し上げます。
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